下松市の歴史と文化

    推古天皇(女帝)の3年(595年)9月18日、青柳浦の老松に大きな星が 降りかかり七日七夜の間、目もくらむばかりに光り輝きました。 その時、占いをする人に神かがりしてお告げがあり

    「われは北辰(ほくしん)の精である。今より3年の後、異国の太子が来朝される。  その守護の為、ここに天降ったのである。」

    北辰の精が松の木に降ったというので、それまでの青柳浦を「降松」と改め その後、今の「下松」と書くようになったといわれています。 又、下松の地名については百済津(くだらつ)から転訛したという説も有力です。 (下松駅北口に金輪神社に「かなえの松」が、あります)



金輪神社のかなえの松

    花岡稲荷ときつねの嫁入り(下松の有名な行事)

    享保9年(1724)花岡の法静寺の住職は、ある日、数珠(じゅず)を無くしました。 その夜、住職(じゅうしょく)の枕許(まくらもと)へ何かが立って

    きつねの嫁入り

    「私たちは、わけあってしらむが森に死んでいる夫婦の白キツネです。今晩、数珠を届けに参りました。その代わり私たちの遺体を人様と同じように、このお寺に引き取って下さい。そうして下されば、お寺や里の人々を災難(さいなん)から守ることをお約束します」

    住職はすぐに白キツネの遺体を引き取って人間同様に手厚く葬り(ほうむり)供養をしてあげました。それ以後、失せ物、たずね物が見つかるという霊験があらたかで、この寺に参る人が増えていったといいます。

    この夫婦キツネは福徳稲荷(ふくとくいなり)として法静寺の境内に祭られ、毎年11月3日の「稲穂祭」(いなほまつり)には、多くの参詣者があり、戦後「きつねの嫁入り」行列が行われるようになり更に有名になりました。(下松市地図の花岡駅付近です)


    下松市に関する歴史を簡単にまとめてみました。全て西暦表記にしています。

西 暦

事  項

1355

 大内弘世、周防国を平定し下松妙見社を整備

1389

 足利義満、厳島参詣での後、下松に立ち寄る

1561

 毛利元就、下松北辰妙見社社殿修理

1596

 毛利輝元、下松に水軍の船倉をおく

1618

 毛利就隆、下松周慶寺に仮館をおく

1638

 下松の就隆館完成

1864

 蛤御問(はまぐりごもん)の変に来巻金剛隊、下松集義隊ら出陣

1871

 廃藩置県により徳山藩は山口県となる

1897

 山陽鉄道、広島と徳山間開通、下松駅設置

1901

 東豊井村、西豊井村が合併、下松町となる

1914

 下松に電灯つく、下松実業実践学校開校

1919

 日本汽船笠戸造船所(現 日立)創業、
専売局下松製塩工場創業、笠戸島巡航会社創立

1920

 笠戸島船渠(かさどしませんきょ)創業開始

1925

 徳山自動車会社(現 防長交通)設立

1929

 下松高女開校、末武北村が花岡町と改称

1930

 日本石油操業開始

1932

 岩徳線 櫛が浜と花岡間開通、花岡駅開業

1934

 東洋鋼鈑創業

1939

 下松町、久保村、末武南村、花岡村合併して下松市となる

1945

 下松空襲、各工場、市街に被害

1954

 米川村、下松市に編入

1955

 温見ダム完成

1964

 中電下松火力発電所完成

1965

 下松橋上駅完成

1975

 山陽新幹線開通、周南バイパス開通

1976

 笠戸島ハイツ完成

1983

 下松市栽培漁業センター完成、笠戸島はなぐり人工海水浴場完成

1987

 下松華陵高校開校、ひらめ料理下松市代表的メニューになる、笠戸船渠解散

1991  下松バイパス開通、笠戸島家族村オープン
    参考文献
    「周南地方歴史物語 徳山下松新南陽鹿野今むかし」清木素他、[瀬戸内物産出版部] より使用許諾承認済み。

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